「毎日がしんどいけど、辞める勇気もない」 「がんばれない自分が、ダメな人間なんじゃないか」
かつての私のように、今、そんなふうに自分を責め続けていませんか?
はじめまして、ちるです。
私はこれまでの人生で2度、適応障害と診断され、会社という場所から“逃げた”経験があります。
この記事では、どん底まで落ちた私が、どうやって会社から離れ、フリーランスとして自分のペースで生きられるようになったのか、その全記録をお話しします。
読み終える頃には、「今の場所から逃げても、人生は終わりじゃないんだ」と、感じていただけたら嬉しいです。
「怒られないように」が口癖だった新卒時代。気づけば心は限界に
社会人として初めて働いたのは総合病院でした。専門学校を卒業後すぐに就職し、3年ほど働きました。
この職場では、朝イチの上司の機嫌で1日の空気が決まるような環境で、常にピリピリが絶えず。
機嫌が悪いと部署の空気も悪くなり、どこに地雷があるか分からない中、みんなで顔色をうかがいながら仕事をしていました。
私の業務は医師との連携も多く、話しかけるタイミングや声のトーンまで細かく気を遣っていました。

当時は、「怒られないように、迷惑をかけないように」と、そればかりを考えていたように思います。
私はもともと人に気を遣いすぎるタイプで、相談するのも苦手でした。徐々にストレスが積もっていき、気づいたときには、帰宅後も休日も仕事のことが頭から離れず、ずっと緊張状態に。
夜はなかなか寝付けないので、寝るための深酒が習慣になり、集中力も低下。ミスが増えていきました。
そんな私の様子を見た上司から「一度、病院に行ってみたら?」と声をかけてもらい、受診。
22歳で、はじめて「適応障害」と診断されました。
一度は転職で改善。でも、本当の地獄はそこからだった
適応障害と診断され、半年ほど頑張りましたが、なかなか治らずに退職。
その後はアルバイトでつなぎながら、Web系の会社に転職しました。
2社目は年齢層も若く、上司も同期も同世代。
年上に苦手意識があった私にとっては、とても働きやすい職場でした。

不思議と、この会社では一度も心が折れることなく、スキルも身についていく実感がありました!
「このままならきっと大丈夫」 そう思っていた私は、3年勤めた後に、さらにスキルアップを目指して転職を決意します。
しかし、3社目のマーケティング会社で、私は再び“がんばれなく”なりました。
未経験での入社でしたが、入社直後からクライアントとの打ち合わせや大きい案件を任され、とにかく必死に食らいつく日々。
でも、なかなかうまくいきませんでした。
ミスが続き、社内でも浮いた存在に。
どんどん自信をなくしていきました。頑張りたいのに、頑張れない。
気づけば、打ち合わせで言葉を発するだけで場の空気が悪くなるように感じてしまう。

社内でも誰とも馴染めず、いつも1人でいるような感覚でした…
それでもなんとか頑張っていたのですが、1年経った頃、突然涙が止まらなくなり、体が動かなくなる日が来たのです。
「まただ…」2度目の適応障害。震える手で上司に伝えた日のこと
「まただ…また、あのときと同じになる」 そう思った私はすぐにメンタルクリニックを受診し、再び「適応障害」と診断されました。
正直、上司に「適応障害になった」と伝えるのは本当に怖かったです。
「仕事もろくにできないくせに」と思われそうで。 診断された次の日には、クライアントとの大切な打ち合わせも控えていました。
涙と震えと動悸でどうにもならない中、報告資料だけはどうにか作ろうと、泣きながら徹夜で仕上げました。
翌朝、チャットで上司に状況を伝えようと、何度も何度も文章を書き直し、「送信」を押す手が震えて、何回もキャンセルして…

アニメみたいですが、最後は叫びながらエンターキーを押したのを覚えています。笑
幸い、上司はとても親身に対応してくれて、業務の量も調整してくれました。そして少しずつ、また落ち着きを取り戻していきました。
「死んだ方がマシ」私が退職代行を使って“逃げる”と決めた日
でも半年後。私はまた、心の底から追い詰められていました。
「仕事に行くくらいなら、死んだ方がマシ」 「今日、通勤中に事故に遭わないかな」
毎日そんなことばかり考えていました。夜は眠れず、朝になると嘔吐する。そんな日々が続き、限界を感じた私は、賛否両論あることを覚悟の上で、退職代行を使って会社を辞める決断をしました。
罪悪感でいっぱいだった退職直後。私が自分を取り戻すまでにしたこと
退職代行を使って会社を辞めたあと、数ヶ月は罪悪感でいっぱいでした。
「逃げた」「ダメな人間だ」って、自分を責め続けていました。
ふとした瞬間に仕事のことを思い出しては、泣き叫んだこともたくさんありました。
頭の中を空っぽにする方法がわからず、とにかく考えすぎないことに振り切りました。

私はYouTubeを見たり、ゲームをしたり、何かに意識を向け続けるようにしていました!
「もう会社員は無理だ」私がフリーランスという道を選んだ理由
もともと「会社に属さずに働いてみたい」という気持ちはずっとあって。
「どうせならこのタイミングで試してみるしかない」と思いました。
とはいえ、現実的には貯金も減っていくし、もう“やるしかなかった”というのが正直なところです。
最初は、自分のスキルが活かせそうな業務委託の仕事にとにかく応募。営業もたくさんしました。空いた時間は、Web制作やデザインの勉強にも使っていました。

お金は無かったので、教材は主にYouTubeやネット上の無料コンテンツを見まくりました!
「Udemy」のセールで買った数千円の動画教材も、非常に役立ちました。
とにかく「お金をかけずに学ぶ」がモットーでした。
フリーランスになって気づいた、「無駄な経験なんてない」ということ
ちょっと不思議なんですが、会社員のときはうまく話せなかったのに、フリーランスとしてクライアントと打ち合わせをしたとき、「ちゃんと話せてる」って思ったんです。
その瞬間、「失敗続きだったあの頃の自分も、無駄じゃなかったんだ」と心から思えました。 成功体験って、本当に大事なんですよね。
逆に、できないことばかりが積み重なると、「何やってもダメだ…」と自分を否定し続けることになります。私もまさにそれで、心も体もすり減っていきました。

会社員の頃は、ただただ成功体験がなかっただけだったんだなと…
“頑張れない自分”も受け入れる。今の私なりの働き方
今は、週3〜4日ほどのペースで働いています。メインは広告運用ですが、動画編集やライティングなど、いろんな仕事をしています。
正直、モチベーションの波は激しいです。やる気があるときはめちゃくちゃ営業をかけるけど、いざ連絡が来たときには「無理…」ってなってることも多くて(笑)
最近は、“頑張れない自分”に合わせてスケジュールを調整するようにしています。
モチベーションが高いときは、スキルアップや勉強の時間に。
キャパを超えそうなときは、「やらない」選択もOKにする。 会社員時代にはできなかった、この働き方が私には合っているようです。

まだまだメンタルの波は激しいです。。。
まとめ:「逃げる」は「未来を選ぶ」こと。あなたも大丈夫。
この経験を通して、私が心から伝えたいのは『「逃げる」は「未来を選ぶ」ための、最も勇気ある一歩だ』ということです。
適応障害は、特定のストレス要因によって引き起こされると言われています。だからこそ、その環境から物理的に「逃げること」は、自分を守るための正解になることが多いのです。
私がこのブログで、本当に伝えたかったことがあります。
私は、パワハラやセクハラがあったわけではありませんでした。 ただただ自分の力量が足りず、自信をなくし、周りから孤立していった結果、適応障害になりました。
だからこそ、「会社が悪いわけじゃない、自分が弱いだけだ」と、ずっと自分を責めていました。
でも、今なら本気で言えます。
そんな人も、逃げていい。 自分に原因があると思い込んでいても、あなたの心が「もう無理だ」と叫んでいるなら、迷わず逃げてください。
ましてや、理不尽なパワハラやセクハラで苦しんでいる人は、もっともっと、一目散に逃げてください!
「逃げていいよ」という言葉はネットに溢れていますが、当事者からしたら、それが一番難しいんですよね。
だからこそ、私は“逃げた側”の人間として、あなたの背中を押したい。

私は賛否のある「退職代行」を使って辞めましたが、それでよかったと今では本気で思っています。
今、あなたが抱えている苦しみは、決してあなたのせいではありません。 この記事が、「自分だけじゃなかったんだ」「こんな未来もあるんだ」と、ほんの少しでもあなたの心を軽くできたら、これ以上に嬉しいことはありません。
このブログでは、これからも会社から安全に脱出する方法や、自分らしい働き方を見つけるヒントを発信していきます。